生きものにやさしい、豊かな暮らしと生き方

300年以上続く都市農家の挑戦。歴史をたどり、人と人とのつながりで歩む都市農業の魅力とは – 天神山須藤園14代目 須藤金一さん

もりの人に聞いてみた vol.10

天神山須藤園14代目 須藤金一さん300年以上続く都市農家の挑戦。歴史をたどり、人と人とのつながりで歩む都市農業の魅力とは

執筆:五十嵐はるか / 取材・写真:眞弓英和

東京都三鷹市新川で300年以上続く農家・天神山須藤園は、穀物や葉物野菜の生産に始まり、現在は植木生産農家として、公園や街路樹、住宅用の植木を市場に卸しています。先祖代々、受け継がれてきた、住宅街の中にうっそうと茂る緑のオアシスで、地域に根付きながら樹木を育む14代目の須藤金一さんに、都市農家の可能性について、お話を伺いました。

時代に翻弄されながら、代々と受け継がれてきた農地

── 須藤園の敷地に入ると、すぐ近くの納屋に古い写真がのった展示会のポスターが目に入ります。歴史を感じさせるその写真に写っているのは、今は亡き須藤さんのおじいさんと、そのご兄弟でした。

須藤さん これは戦前の写真です。うちのじいちゃんは体が小柄で、たまたま農作業で背骨をケガしたんですね。それで医者に診断書をもらって徴兵を免れて農家を続けられたんです。一緒に写っている2人の弟は徴兵されてフィリピンで戦死しました。この写真は、親父と私にとっては原点なんです 。

天神山須藤園の歴史を語る一枚。当時は麦などの穀物類を生産していて、牛車で築地まで運んでいました

須藤さん じいちゃんが死んだのは、私が高3の頃でした。その時、親父に将来農業を継いでくれるかどうか意思を問われました。どういうことかというと、「相続税納税猶予制度」という、いわゆる相続した人が死ぬまで農業をすれば相続税を免除してあげますよ、という法律があるんですが、それにのれないと相続税を何千万、何億も支払わないといけなくなって、その税金を払うために今ある農地を売り払うことになるんです。とはいえ、病気やケガで体が動かなくなる可能性だってゼロではないし、そんなことわからないじゃないですか。もしも寝たきりになって農業ができずに 農地が荒れたら、相続を受けた時からさかのぼって利子も含めて税金をすべて払わなければいけない。それに当時は農地を引き継げる後継者は親族だけだったので、後継者がいない農家は制度にのることすらできずに農地を売り払わざるをえなかったんです 。

私が農業を継がなきゃいけないんだなと意識したのはこの時でした。それで、継ぐにしても経営を学びたいと思って、大学卒業後は都市銀行に勤めたんです。

── 銀行で経営を学んだ須藤さんが家業を継いだのは26歳のとき。父親のJA常勤を機に、広大な敷地を管理する要員として声がかかりました。

都市の農地は、なぜ減り続けているのか
自分たち都市農家の農業の実態を学び、受けた衝撃

須藤さん 就農するとJA東京むさし青壮年部(以下、青壮年部) に入部しました。農家って基本的に、一人で作業するのがほとんどなんです。でも、青壮年部には同じような立場で本音で語り合える仲間がいました。そんな彼らと農業の技術を高め合い、いっしょに学びながらやっていくことで、とても勇気をもらいました。

仲間とは、なぜ農地が減っているのかをともに学び、その現状を知るほど自分たちが置かれている状況に衝撃的を受けました。家業を継ぐことを意識したきっかけにもなった相続税も歴史をたどるといろいろな事が見えてきたんです。

須藤さん そもそも、農地の税金が宅地なみに高いことが相続税が負担になっている要因です。これは戦後の田中角栄の時代に、都市に人口が流出して都市化が進み、昭和43年に「都市計画法」ができて、「市街化区域」として街を区域化する街づくりが行われたことに起因するんですね。これにより、区域内に指定された農地は10年以内に市街化をはかりながら、宅地並み課税を支払うことになりました。ただ、それでは都市で農業を続けていくことができないことから、農家は地域住民に対して農業は大切だからと働きかけて「宅地並み課税反対運動」を起こしました。その結果、住民の理解を得て応援してもらい勝ち取ったのが、都市農地の保全を目的とした「生産緑地制度」だったんです。

JA東京むさしのの三鷹エリアは政治に対して働きかける、いわゆる農政運動を組織立ってやってきた地域です。私が先輩方に言われたのは「都市農家は畑で仕事をしていればうまくいく環境ではない。自分たちが置かれている状況をみずから勉強して、それに対して必要なことを、みんなと協同の精神で運動していく。自分たちが安心して農業できる環境を作り上げていかないと厳しい。仕事も大事だけれど、自分たちの歴史を学びながら運動をしていかないと生き残りは無理」ということでした。

この生産緑地に指定してもらえると、納税が宅地税から農地税になり負担が減ります。指定解除期間も先輩方の働きかけもあり、平成3年には一律30年に変わりました。実は2022年が、その30年目にあたる農家が多い年だったんですが、「特定生産緑地制度」という新たな制度が施行されたことで、さらに10年延長できるようになり、私もなんとか農業を続けていくことができているんです。

職業を選択することが自由な今の時代に、死ぬまで農業を続けなければ税金の免除を受けられない。それってある意味、人権を無視していると思うんですが、平成30年には「都市農地の貸借に関する円滑化法」が成立し、農地を貸借しても納税猶予制度が継続する特例が創設され、親族に後継者がいない場合でも納税猶予制度にのっかりやすくなりました。これによって私が継いだ時のような心配が多少減りました。

時代の流れと転機、見直されはじめた都市農業の存在価値

須藤さん こうした法律ができるまで、時代の流れのなかでもいくつかの転機があったと思います。 ひとつは平成20年、中国から輸入された冷凍餃子の中に高い濃度の農薬が混入していた「毒入り餃子事件」です。その事件以来“国産、地元産”が非常に注目を浴びはじめ、「作っている人の顔が見えると安心」と言われるようになりました。あの頃から庭先やJAの直売所販売が高まっていきました。

次の転機は平成23年の東日本大震災です。物流が止まったとたん、スーパーで食品を買えなくなりました。こうしたことから、いざとなれば避難場所にもなる、火災が発生しても畑があることで家屋の燃焼が広がらない、井戸があるので水も共有できると“都市に畑があると安心”と認識されていったように思います。市民の交流の場や子どもたちが農業体験をする食育の場としても、都市の農地には価値があるということが明らかになり、都市農家の未来は明るくなっていきました。

天神山須藤園
木々と緑にあふれる園内をまわる須藤さん。有事の際、農地は避難場所にもなる

── 平成27年4月には、「都市農業振興基本法」が施行。安定して都市農業を継続し、多様な機能を十分に発揮して良好な都市環境を形成するために、都市農地の必要性が見直されました。都市の中の農地は「あるべきもの」として位置づけられたのです。

須藤さん コロナ禍のリモートワークの増加によって、平日、家にいるようになった方々が地域を散歩して農家の自販機で野菜を買えることを知る機会につながりました。さらに、ウクライナとロシアの戦争の影響で、いろいろなものが値上がりした状況になっています。それもあって海外に依存し過ぎない、自国でまかなうことの大切さを考える人が増えてきたのかな、と感じています。

東京は、江戸のおひざもとの食料供給地として農業が盛んでしたが、約半世紀の間に農業がない地域になり、人口およそ1400万人がいる都市の農産物の自給率はついに1%をきりました。ゼロに近いけれど、本当のゼロと少しでもあるのとでは違います。東京で農業をやっているおよそ1万人の我々都市農家はこれまでとは逆により必要とされていく。そういう時代になってきているし、だからこそ頑張りたいです。

「生産者と消費者」から「人と人とのつながり」へ
次の世代に何を残せるか、考えながら取り組む

須藤さん 農家に対する厳しい法律をどうしたら変えられるのかを専門家に学びながら相談したりもしています。その回答の多くが「法律を変えるには世論を味方につけなさい。自分たちで何かをするのではなく、市民を味方につける活動をしなさい」というものでした。

実はそれまで私の中では、恐らく多くの人は“都市農家はらくに農業をやっている”と思っているんじゃないかと思い込んでいたところがあって、あまり都市農業の歴史のことなど積極的に話してきませんでした。でも思い切って、イベントなどで話しはじめたら、知らなかった、協力するよって仲間が現れはじめたんです。

それまでは三鷹産の野菜があることを知ってもらうためのアピール活動にとどまっていて、農産物を生産する人と買う人というアプローチだったものが、人と人との関係に変わっていきました。

東京農工大学の馬術部の馬糞を使ったエコ堆肥
東京農工大学の馬術部の馬糞と、ご近所の刈谷珈琲店で出た珈琲の出し殻、植木のチップを
混ぜてつくったエコ堆肥。地域の資源を活用し、畑に戻されています

須藤さん 農家を応援するための情報を発信するWEBサイト「まちなか農家プロジェクト」も、応援したいという仲間によって発足しました。ここで発信していくうちに市民との距離が近くなっていきました。ほかにも、ITを使って地域の課題を解決する「コード・フォー・三鷹 / 武蔵野」で話す機会をいただいたり、農地体験で学生や留学生を受け入れたりしたことで、さらに彼らが発信してくれて広がっていったんです。

我々世代の三鷹の農家は、消費者を意識して農業をしてきましたし、市民を向かい入れる気持ちをすごくもっていて理解してもらいたいとも思っています。外部の方々を積極的に受け入れていますし、それが自分たちの将来につながるだろうから、自分たちの地域や置かれている状況を理解して農業をする農家が増えれば、きっと自然とコミュニケーションをとろうとする農家が増えてくるんじゃないかと信じています。やっぱりルーツを知るって大事だと思います。先輩方がこれまで頑張ってきた道のりがあるから今の我々がある。だからこそ、我々も次の世代にバトンタッチするときに何が残せるかを考えながらやっていきたいし、市民に対しては、農に触れる機会を提供しながら自分たちが住む町に農地がある良さを体感してもらいたいですね。

地域の労働者協同組合
取材の前には、地域の労働者協同組合(ワーカーズコープ)の見学を受け入れていました

消費者との距離が近いことは都市農業の魅力の一つ
東京都初のオリーブオイル生産に挑戦

── もともと天神山須藤園は植木の生産のみでしたが、2019年頃からは、夏みかんやはっさくなどの柑橘系果実を使ったジャムやマーマレードの販売を、庭先やJAの直売所、地域のコーヒーショップやベーカリーショップなどで開始しました。2022年には植木生産の技術を生かしてオリーブオイルの生産に挑戦し始めます。農園にはオイル用に厳選した3種類の苗木を110本植えました。

須藤さん これまでは植木生産だけだったので消費者との接点をあまり持てませんでしたが、加工食品をはじめたことで地域のお店や消費者と顔が見える関係が増えてきました。消費者との距離が近いことは都市農業の魅力の一つだと感じています。

オリーブオイルの実
取材した日は、オリーブオイルの実がなり始めていました
東京三鷹天神山オリーブ
その後、無事に実は育ちオリーブオイルを絞ることができました

須藤さん 新たに始めたオリーブオイルの生産は東京ではまだ誰もやっていませんが、こうしたチャレンジができるフィールドがあることも都市農業ならではだと思います。 失敗もあるかもしれないけれど新たなことに挑戦しないと気づかないこともあって、ワクワクしながら挑戦する私の姿を2人の息子にも見てもらい、「親父、なんかチャレンジしているな」って伝わったら嬉しいです。 僕もそうでしたから。

オリーブの木と一緒に

Writer

五十嵐はるか

編集者。主に育児を中心とした生活や健康、社会活動の取材・執筆、絵本制作に携わる。

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