“あるのがあたりまえ”?あたりまえの無いコミュニティで覆された、生活、自分、人間関係のあたりまえ ~ スローフード宣言 食べることは生きること#03
あるのがあたりまえ
「あるのがあたりまえ」は、ほしいものは何でも、いつでも、どこでも、二四時間三六五日入手可能であるべきだという考えかたです。12月のアラスカで桃が買えて、ナイロビでエヴィアンが手に入り、ドバイで寿司を食べることができる。そんなねじれた考えかたは人を甘やかし、自分が今どこで何をしているのかを分からなくさせます。いつでも手に入るから季節が意味をなさなくなり、産地がどこであるかも関係なくなります。すべてが大きく均質化され、いつでもどこでもほしいものを手に入れることができるグローバル社会では、地域に固有の文化や「今ここ」で起こることの特別さは色あせてしまいます。深夜までいつでもアクセス可能であることを望む在りかたはまた、私たち自身の暮らしをも消耗させています。
海士の風出版「スローフード宣言 食べることは生きること」
あたりまえの無いコミュニティと出会って
食に興味を持ち、食材がどのように作られ手元にやってくるのか気になりだした私は、畑から自然農へ、自然農から自然を取り巻く環境へと、その興味の枠を広げていった。特に自然環境については巡り巡って食べ物に影響を及ぼすことなので目をそらすことが出来なくなっていた。自分でも気付いていたのは、自然環境を維持、あるいは保全するには人間が増幅させてきた「便利でいつでも有るのがあたりまえな生活」を見直すことと分かっていても、なかなかそれを手放すことが出来ないということだった。
そんな矛盾を抱えた生活の中で私は、ある日あたりまえの無いコミュニティと出会って「あるのがあたりまえ」の概念が覆されたのだった。それはどんな場所だったのか。
そのころ、何か明確なものを求めていた訳ではないのだけど。心のアンテナが反応して暇さえあればインターネットで「自然」「環境」「アップサイクル」「循環」などというキーワードで検索する日々だった。もしかしたら同じような志向の人々が集う場を探していたのかもしれない。
探してみれば日本各地に「環境や循環をテーマにした場所」や「エコヴィレッジ」というコミュニティがあることを知り興味を持った。近いところを探してみたら神奈川県相模原市の「廃材エコヴィレッジゆるゆる」さんがヒットしたのでさっそく訪ねた。
電気・水道・ガス・水洗トイレ
それはあるのがあたりまえ?
電波が届かず車のナビも役に立たない限界集落に「廃材エコヴィレッジゆるゆる」(以下、ゆるゆる)はある。主催者である万華鏡作家の傍島飛龍氏が、廃工場を廃材でリノベーションしたコミュニティスペースだ。現地で見た建物は使われている材料が本当に廃材?と思うくらい、色合いや機能などがマッチしてさらに飛龍氏の世界観が表現されていて、一つの大きな作品となっているようだった。
入口には初めて出会う人たちなのに、なんだか「待っていたよ」という雰囲気の方々が4名ほど座っていた。聞けば電気を作っているという。
え?電気って作れるの?
そのころの私はライフラインはすべてお金と引き換えに与えられるのがあたりまえと信じていて、太陽光発電ですら電力会社がやるもので小さな規模で自分で出来るなんて知らなかったのだ。そして彼らは(太陽光発電は日常的であり)ヴィレッジの裏にある沢で水力発電の研究をしていたのだった。
次にあたりまえが覆されたのは水道だった。
ゆるゆるにはこれまた廃材で造ったキッチンバーが設置されているが、蛇口からは近くの沢から引いてきた湧き水が出てくる。皿を洗う前に古紙でよく拭き、使った古紙は焚火やストーブの焚きつけに使う。排水はふたたび沢に戻すから、そのために洗剤は使わない。
私が生活する場所では、水は各家庭に水道が設置されていて、蛇口をひねれば水が出てくるのがあたりまえだ。
私たちはどこからどのように来た水なのか、知ることもなく出てきた水を使っているだけ。
そして使った水がどこへどのように流れていくのかを見ることもない。
水道は水道業者が設置するのがあたりまえだから、それを最初から組み立てようなんて考えたこともない。
沢の水で不自由無く、飲み水は過熱しながら健康的に暮らす姿を見ていると、清潔のためにと殺菌しすぎるよりも、ちょっとくらいの雑菌はむしろ、身体か菌への耐性を得るのに必要なように思えてくる。
そして「火」についても「あたりまえ」が覆された。
ゆるゆるの「火」は焚火だ。(ただし夜などは安全面からテーブルコンロも使用されている)廃材うまれの煮炊きができる窯や暖を取るロケットストーブなどが設置されている。焚き付けには端材や食器を拭いた古紙が利用されていて無駄がない。ここでも全てが手造りで私が今まで考えもしなかった窯やストーブの仕組みなどの説明を受けることになった。
最後にトイレ。
私にとっては初めてのコンポストトイレで抵抗があったが、すぐ慣れた。巷では水洗トイレが当たり前になっていて、排泄物は不要なもの、汚いものとして処理されるが、コンポストトイレでは必要なもの、尊いものとして利用されるのが不思議だ。
水洗トイレの場合、匂いも少ないし清潔感があるが便器を洗い流すために沢山の水が必要だし、その水を浄化処理するためにおよそ地球には不必要と思われる大型設備も必要だ。対してコンポストトイレに必要なのはその場所だけで仕組みも簡単。排泄物はたい肥として畑で利用されて循環の一部となる。もちろんこれは、農的暮らしをしている前提での話なのだけど。
大切だった「しくみを知ること」
ゆるゆるで知った色々な工夫は私の日常の「あるのがあたりまえ」を覆してくれた。共通していたのは「しくみを知って自分で組み立てること」。そうすることで人が地球に与える負荷も最小限になっていくような気がする。
発電(太陽光発電)の仕組みを知って自分で組み立てたら?
電力の貴重さが解り、それに頼り切るのではない知恵が生まれるかもしれない。
水道のしくみを知って自分で組み立てたら?
その水がどこから来てどこへ行くのか解るから地球を汚すものは使うのを止めるかもしれない。
火のしくみを知って自分で火おこしをする生活をしたら?
ガスや灯油などの化石燃料の使用量を控えて地球の負担を減らせるかもしれない。
美味しい炎の料理を知ることができ、出したゴミの顛末に責任を持つことができ、そして炎の持つ癒しの力を知ることができるかもしれない。
コンポストトイレを使うようにしたら?
そうやって自分が出すもの(排泄物も含めゴミや排水など)と巡り巡って口に入れるものが繋がっていることを実感し、身体に取り入れる物への意識が高くなるかもしれない。
仕組みを知って自分で組み立てることは「あるのがあたりまえ」を覆す。
あたりまえと思っていた自分と人間関係・子供たちとの関係
ゆるゆるに何度か通ううちに覆された「あたりまえ」がまだある。それは「自分について」と「人間関係」「子供たちとの関係」だ。
自分については、いつもいつも自分がどう「あるべきか」ばかりを考えるのがあたりまえで「ありたいか」というのは考えていなかったように思う。あるべき姿が、ありたい姿だと思い込んでいたからだろうか。そして時間の経過とともに不思議と「ありたいか」すらも考えなくなり、「在ればよい」のだと思うようになった。
ゆるゆるでは「あるべき」ということには意味がなかった。人間関係においては、長い時間で構築して悪い部分にフォーカスを当ててストレスを、ストレスを感じるという私にとっての「あたりまえ」があった。でも、ゆるゆるというコミュニティは、その日その場に居合わせた、その時間限りの人間関係だ。その時間だけでも仲間として全力で交流して「またね!」と言って別れる。だから自分にとって良い部分しか見えない。人間関係はそれでよいのだと思う。自分にとって悪い部分は写し鏡だから自分の問題なのだ。
ゆるゆるには親子で遊びに来ている人たちもいる。私にとっての「あたりまえの子供」というのはどこか大人に遠慮していて元気だと厄介がられる。そんな子供ばかりだったし、我が息子たちは元気すぎて厄介がられていた(笑)
でもゆるゆるの子供たちはどうだろう。ゆるゆるの子供たちも大人と同じように「在ればよい」というのは感じていることだろう。だから凄く元気いっぱいで大人に対して遠慮や区別もない。ニックネームでバンバン呼んでくるし「遊ぼう」って声をかけてくる。大人も子供も一人の存在でしかない。
私はゆるゆるで子供たちから「遊ぼう」と声をかけられたとき、無駄に急いでいる自分に気づいてハッとして動きを止め、子供たちと時間を忘れて遊んだ。そんな無意識にも気付かせてくれる、稀有な存在なのだ。
私たちはいろいろな「あるのがあたりまえ」で過ごしてきて、その快適さに野性的な感覚がマヒしてしまっているかもしれない。
疑問視して、その仕組みを知ってみると全てがシンプルで、みんな自分たちで解決していける事なのかもしれない。
それを1つ1つ思い出して野性的な感覚を取り戻していくこと、子供たちにも伝えていくことが大切になってくるのかもしれない。(つづく)
6月のFarm to table
旬のお野菜たちでつくる「畑グリル」
私は旬の野菜はグリルして塩コショウで頂くのが一番おいしいと思います。写真は畑から収穫したズッキーニ、まびき人参、新じゃがをグリルした「畑グリル」は、お野菜の個性が引き立つお料理です。ぜひご家庭でも作ってみてくださいね!
Writer
Shere
スローフード宣言 食べることは生きること
半世紀前——カリフォルニア州バークレーの小さなレストランからはじまった「おいしい革命」は、多くのアメリカ人の食習慣や食べ物に対する考え方を変え、全米の地産地消を広げ、世界中へと広がった。この本はその革命を引き起こし、料理人であり活動家でもあるアリス・ウォータースさんが、生涯のテーマである「スローフード」の世界観について初めて語られた本です。食べることが人と暮らしと世界にどのような影響をもたらしてきたか、その道筋を変えるために、私たちにできる事がありました。
海士の風(株式会社 風と土と)
スローフード宣言を発行された、島根県隠岐諸島の一つ「海士町(あまちょう)」出版社さん。 離島という土地柄、過度な情報や一時的な流行に左右されずに純粋に出したい本を出されています。小さな出版社なので一年間で生み出すのは3タイトル。だからこそ、心から共感し、応援したい著者と「一生の思い出になるぐらいの挑戦」をされています。
海士の風